家康の散歩道⑤ 鎧掛けの松

家康楽市 in 浜松出世城

2011年06月06日 23:02

鎧掛けの松





ご存じ「三方原の合戦」


元亀3年12月22日(1573年1月25日)


武田信玄軍2万7千人と


徳川家康軍1万1千人(うち織田信長援軍3千人)


が戦った。この戦は家康の歴史的大惨敗


かつ唯一の敗戦として有名である。


この戦から帰った家康は木陰で鎧を脱ぎ休息し


その松の木に鎧を掛けたとされている。




この松は移植された3代目で、


初代は城内のお堀のそばにあったようである。






よ~~く見ると、浜松市内に


徳川家康由来の物が装飾されている。


これは、電燈の上に家康マークが飾られている。


洒落てる\(◎o◎)/!










浜松城に戻った家康は、苦渋の表情の肖像画を描かせ、


これが現在、徳川家康三方ヶ原戦役画像、通称「顰像」


として残っている。






これは、血気にはやって武田軍の誘いに乗り、


多くの将兵を失った自分に対する戒めとして


描かせたとして知られ、


この後に熱くなった自分を抑えるために


絵を見て自重していたという逸話が残っている。


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