家康の散歩道⑤ 鎧掛けの松
鎧掛けの松
ご存じ「三方原の合戦」
元亀3年12月22日(1573年1月25日)
武田信玄軍2万7千人と
徳川家康軍1万1千人(うち織田信長援軍3千人)
が戦った。この戦は家康の歴史的大惨敗
かつ唯一の敗戦として有名である。
この戦から帰った家康は木陰で鎧を脱ぎ休息し
その松の木に鎧を掛けたとされている。
この松は移植された3代目で、
初代は城内のお堀のそばにあったようである。
よ~~く見ると、浜松市内に
徳川家康由来の物が装飾されている。
これは、電燈の上に家康マークが飾られている。
洒落てる\(◎o◎)/!
浜松城に戻った家康は、苦渋の表情の肖像画を描かせ、
これが現在、徳川家康三方ヶ原戦役画像、通称「顰像」
として残っている。
これは、血気にはやって武田軍の誘いに乗り、
多くの将兵を失った自分に対する戒めとして
描かせたとして知られ、
この後に熱くなった自分を抑えるために
絵を見て自重していたという逸話が残っている。
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