浜松元城町東照宮出世パワー

家康楽市 in 浜松出世城

2013年01月30日 15:02

静岡文化芸術大学の「磯田道史」先生が浜松パワースポットとして

本日読売新聞に掲載してくださいました。

全国紙一千万部だから凄いことですよね!!

「浜松元城町東照宮」を浜松パワースポットの一つとして全国に名を広めてくれました!!

磯田先生本当にありがとうございました。

まさにここは御加護やパワーを頂ける神聖なる「出世神社」です。



私が浜松で商売を始めた時から16年間、盆、暮れ、正月には必ずお参りしている

「浜松元城町東照宮」。。

ここは、浜松市元城町の氏神様として地元の方たちが作り上げた歴史深き場所で

德川家康公を御祭神として祀られております。

ここは、もと曳馬城があった場所、浜松城の前身という由緒正しき場所で、德川家康公が

1568年に、飯尾豊前守連龍(連龍逝去後 正室 於田鶴の方が女城主となる)よりここ

引間城を攻略、落城し入城されたとあります。

1570年に現浜松城公園内に新しい城を築城し地名も「浜松」と改名し以来17年間この

浜松に居城し、様々な苦難を乗り越え、のちに天下統一を果たします。

家康公にとっては、出世する前にたくさんの訓練を積んだ場所で、まさに浜松は特別

特にここ東照宮の場所は想い出深き場所であったのではないかと思います。

家康公の後、浜松城主になった多くが江戸幕府老中や大阪城代、京都所司代などに

取り立てられる大出世をしたそうです。そのあたりから何時しか浜松城は「出世城」と

呼ばれるようになったのです。

さらに何と何と!!ここ東照宮には、あの天下人「豊臣秀吉」も来ているのです。

まだ無名だった頃の木下藤吉郎(豊臣秀吉)は16歳~18歳の3年間

浜松に居て数々の痕跡を残しその後天下人となってゆくのです。。












引間城跡は浜松城が築城された後、江戸時代は米蔵として使われていたようですが

明治維新後徳川慶喜公の名代で、浜松藩代として任命された井上八郎氏(延陵翁)に

よって明治17年に東照宮が創建されたようです。太平洋戦争中の昭和20年の

1945年に全焼失してしまいましたが、すぐに小さな仮社殿建立され、昭和35年の

1960年に元城町の功労者 大石 力氏他などのご尽力により再建されて現在に至る。


昨年、家康楽市実行委員のメンバーにて

ここ浜松元城町東照宮を「出世神社」として名乗ることを

氏子総代の皆様よりご快諾いただき

「出世の街 浜松」の「のぼり旗」を奉納させていただきました。



德川家康公が祀られている神棚に向かい

一年の感謝と、ここ浜松元城町東照宮を「出世神社」として崇めていく事。

これからの誓い「浜松パワーフード」をもって

浜松を豊かにしていく事を皆で祈念いたしました。

もちろん「家康楽市」の成功

そして浜松全域の大出世の祈念も申し上げました。







浜松元城町東照宮は元城地区の氏神様ですが

德川家康公や事代主命(ことしろぬしのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)が

御祭神として祀られておりまして、実は「商売の神様」でもあるのです。。


大黒天や恵比寿神ですから、浜松を創った德川家康公ですから

更に豊臣秀吉も出世の人生の転機となった場所であり、家康公と同じ交差地点。。


まさに出世のパワースポット!!そうですここ浜松元城町東照宮は「出世神社」なのです\(^o^)/



大国主命(大黒天) 七福神の一神。
米俵の上に乗り、頭巾(ずきん)をかぶり、打ち出の小槌(こづち)を持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で表される。中世以降、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされる。


事代主命(恵比寿神) 七福神の一神。
商売繁盛(はんじょう)や豊漁・豊作をもたらす福徳の神。烏帽子(えぼし)をかぶり,釣り竿をもち,鯛をかかえた姿であらわされる。兵庫県の西宮神社では,蛭児(ひるこ)または事代主命(ことしろぬしのみこと)と習合して信仰される。恵比寿,夷,戎,蛭子ともかく

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