家康の散歩道⑦ 犀が崖
2011年06月11日
犀が崖(さいががけ)です。
浜松城より北側に位置するこの場所は
三方原の合戦で武田信玄軍に敗れ、
浜松城に逃げ帰った徳川家康軍が
その夜、地理に疎い武田信玄軍を
襲撃し、この崖に追い落とした。
この崖は三方原台地が亀裂、陥没したもので
長さ2キロ、深さ40メートル、幅50メートル
の断がい。
ここに、家康の家来、大久保忠世、天野康景が
大敗を喫したが、一矢を報いようと
崖を隠すように布を掛け、見えなくし
犀が崖の北側に陣する武田軍の背後に廻り
夜襲した。追い込まれた武田軍は
布の掛った崖に気づけず、次々に
人や馬が落ち、山と積まれて散った。
この付近一帯の地名が「布橋」というのは
ここからきている。
犀が崖資料館(旧宗円堂)
犀が崖の戦いの後、転落死した将兵の
うめき声が谷底から聞こえ、人々を苦しめた。
武田軍の亡霊のなすわざと、
霊を慰めるために
家康が宗円という僧を招き
大念仏をあげたところ
その声が止んだという。
それから毎年お盆の3日間に
遠州大念仏とし供養するようになり
現在、郷土芸能となり
旧宗円堂が資料館となって
この遠州大念仏と三方原合戦に
関する資料が展示されている。
この資料館は犀が崖の南上にある
そこには、第16代当主「家達」のお手植え楠もあり
歴史の波を感じます
家達氏は倒幕後の当主で明治維新に生き
時代の大変革を味わった人
お手植えの楠
ここに来て植えられたのですね。
「ねずみ小僧 次郎吉」の墓あります・・・??
Posted by 家康楽市 in 浜松出世城 at 23:38│Comments(0)
│徳川宗家
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